風景写真館 Vol.3
「そうだ、東北に行こう!」ということで、平成28年2月上旬に仲間5人で東北旅行(宮城・岩手・山形)に行ってきました。撮影した写真とともに紀行文「東北見聞録」を書き下ろします。
福岡から仙台空港までJALの直行便で約2時間弱のフライト。
これから始まる3日間の「みちのくの旅」に思いを馳せながら、機内で快適な時間を過ごす。
到着後の宮城の天気は快晴。上々の滑り出しだ。
空港の近くでレンタカーを借りて乗り込み、一路、北に向かう。
スノーボードのメッカ、標高1,100m地点にある「すみかわスノーパーク」は一面銀世界。
「ワイルドモンスター号」という雪上車に乗り込み、約1時間をかけて標高1,600m付近の「樹氷原」を目指す。
前日は吹雪のため、目的地にたどり着くことができず、引き返したそうだが、この日は天候に恵まれ、幻想的な樹氷の大パノラマを満喫することができた。
2年前、「伊万里合唱団」と「合唱団やまびこ」がそれぞれの定期演奏会に賛助出演し、合唱組曲「蔵王」を合同で歌って以来、樹氷を現地で見ることが念願だったが、こんなに早くその機会に恵まれるとは思ってもいなかった。
仙台市内の高台にある仙台城址に到着した頃には日が暮れかかっていた。しかし、夜空に浮かぶ三日月と伊達正宗公の兜に取り付けられているトレードマークの三日月が重なり合うという珍しい光景を目にすることができたのは幸運だった。
ホテルにチェックインし、休む間もなく住友生命仙台中央ビルの最上階(30階)まで上る。ここは仙台屈指の夜景スポットで、眼下に見える夜の街は息をのむ美しさ。カップルが多いのもうなずける。
夕食はインターネットサイトの「食べログ」で絶品寿司店と評判の「弘寿司」に行く。大将と奥様、それに修行中の息子さんを加えた3人で切り盛りをされている。
吟味された海の幸もさることながら温和な大将の人柄に癒される至福のひと時だった。
帰り際、他のお客さんにお願いして、我々と大将のご家族を入れた8人で記念写真まで撮らせていただいた。感謝。
弘寿司を出たあと暫く歩いていると、思いがけず「広瀬川」にさしかかった。
橋の上でお決まりの「青葉城恋歌」を合唱したことは言うまでもない。
2日目の最初の目的地は世界遺産にも登録されている岩手の平泉・中尊寺。
奥州藤原氏は、平泉を本拠として清衡・基衡・秀衡の三代が約100年にわたって栄華を極めた。 初代清衡公は、前九年・後三年の役での犠牲者の霊を敵味方なく慰め、仏の教えによる平和な理想社会である「仏国土」を実現するため、ここ平泉に天台宗の中尊寺を建立したことで知られている。
平泉町営駐車場に車を停め、「月見坂」と呼ばれる樹齢300~400年の杉の並木道を歩いていく途中、左手に弁慶堂を見つけた。「弁慶の泣き所」「内弁慶」で有名な、あの武蔵坊弁慶だ。
駐車場に到着する直前に渡った「衣川(ころもがわ)」は弁慶が主君、源義経を守るため、全身に矢を受けながらも追っ手の前に立ちはだかった「衣川の戦い」で有名な川だ。
弁慶が立ったまま成仏したという言い伝えから「立ち往生」という言葉が生まれている。
弁慶堂から少し上ると、「中尊寺」と書かれた門とその奥にある本堂が姿を現す。
本尊の釈迦如来坐像は丈六仏という一丈六尺の大きな仏様。
本堂は中尊寺の中心となる仏堂で、年間を通じて多くの法要や儀式が行われているそうだ。
中尊寺で最も有名な建造物が金色堂だ。極楽浄土を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術の粋を集めて造られた。
地震や火災から金色堂を守るために現在は覆堂(おおいどう)と呼ばれる鉄筋コンクリート造りの建物で囲われている。
金色堂は文字通り金色に輝く絢爛豪華な御堂だが、写真撮影が禁止されているため写真をお見せできないのが残念だ。
建立当時、南岩手の金山では良質な金が採れており、マルコポーロの「東方見聞録」に「黄金の国」として紹介されているのは「平泉」だと言われている。
金色堂の近くには「雨ニモマケズ」で有名な宮沢賢治の詩碑がある。賢治の詩には、天台宗の開祖、最澄が理想とした慈悲の心に通じる作品が多いことから、ここ中尊寺に詩碑が建てられている。
また、俳人松尾芭蕉も平泉を訪れ、「奥の細道」に かの有名な俳句を残している。
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
「五月雨の降り残してや光堂」
今回の参拝で中尊寺は日本史や古典の授業でしか知識がなかった世界を体験できる屈指の名所だということを改めて認識することができた。
平泉より車で30分。岩手県一関市に日本百景のひとつに数えられている「猊鼻渓(げいびけい)」
がある。
北上川支流の砂鉄川沿いに、高さ50mを超える石灰岩の岸壁が、およそ2kmにわたって続く渓谷で、東の耶馬渓(大分県)とも言われている。
猊鼻渓観光は舟下りがお勧めだ。
我々が乗った船は約30人乗りで、観光センターの青柳さんが漕ぎ手、佐藤(純一)さんがガイドとして案内をしてくれた。冬場は透明な覆いやこたつが付いて寒さ対策も万全である。
佐藤さんの話では、日本の主な船下り観光地は18箇所あるが、その中で、竿1本で川の上り下りを楽しめるのは唯一猊鼻渓だけだとか。
上流まで行くと、一旦舟を下り、歩いて一番奥にそびえ立つ大猊鼻壁を目指す。
そこで楽しめるのが「運玉投げ」。水中では次第に溶けていく素焼きの玉を100円で5箇購入し、岸壁に空いた瞳の形をした穴を目指して投げるものだ。
ほぼ全員がチャレンジしたが、距離があるため意外に難しく、成功したのは私と連れの2人だけだった。しばらくはご利益がありそうだ。
下りは佐藤さんが歌う「げいび追分」が旅情を盛り上げる。
下舟後、佐藤さんと話す機会があった。我々が九州から来たことを告げると、佐藤さんは2カ月前に研修で熊本の球磨川下りと福岡の柳川下りを視察されてきたそうだ。
佐藤さんは研修を受ける必要がないと思われるほど立派なガイドだったが、飽くなき向上心には頭が下がる。
2日目の宿泊地は山形県の銀山温泉だ。
東北自動車道の古川ICで下り、一般道で山形県に向かう。県境を越えたあたりから次第に雪景色になっていく。
途中で雪原の彼方に沈みゆく夕日が目に飛び込み、急いで車を路肩に停めてもらう。全員が車から下り、九州では見ることができない、感動的な光景を目に焼き付けた。
ひときわ雪深い豪雪地帯の先に目的地の銀山温泉はあった。
江戸時代、野辺沢銀山の鉱夫達が利用していた温泉は廃山後の享保年間(1741年)頃から湯治湯になった。大正時代には三層四層のモダン木造建築に伝統技術の鏝絵(こてえ)で欄間を飾り、玄関の上はバルコニー風の旅館が軒を連ねるようになった。大正時代の面影を今に伝え、自然豊かな山峡の秘湯は一度は行ってみたい温泉郷として知られている。
近年「銀山温泉」が脚光を浴びたのは、NHK連続テレビ小説「おしん」の舞台として使われたのがきっかけ。
さらに、スタジオジブリの名作、「千と千尋の神隠し」のモデルにされた温泉街のひとつとも言われている。
この日我々が泊った宿は旅館「藤屋」。
旅行誌には「巧たちの技が織りなす『和モダン建築の傑作』」と書かれている。
五つの趣が異なった貸切風呂は、扉の外に先客のスリッパがなければ自由に使うことができる。
普段家庭で入る風呂よりかなり熱かったが、慣れてしまえば気持ちよく、湯冷めをすることもなく眠りについた。
東北旅行もいよいよ最終日。
「松島や ああ松島や 松島や」の句で有名な日本三景のひとつ、宮城県の「松島」を訪れた。
牛タン専門店の「利休」で舌鼓を打ったあとは、遊覧船で松島湾内の島巡りを楽しんだ。
この日も快晴。温暖で波も穏やか。船長さんのガイドを聴きながら大小の奇岩が次々と 移り変わる風景を堪能した。
遊覧船を下りてしばらく歩き、松島のシンボル「五大堂」に着く。内部には「大聖不動明王」、「東方降三世」、「西方大威徳」、「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像が安置されており、桃山建築としては東北地方最古の建物である。
まさしく「風光明媚」という言葉が相応しい松島の景色だった。
楽しい旅はあっという間に終わってしまうもの。
レンタカーを返却し、仙台空港で搭乗手続きを行う。
東日本大震災の津波が仙台空港に押し寄せる様子をテレビ中継で観てショックを受けた人も多いのではないだろうか。
空港には犠牲者への鎮魂と不忘、後世への教訓のため「カリヨンの鐘」が設置されている。
また、空港ロビーには山形南高校書道部の生徒による巨大な作品が展示されていた。
傍らには「復興はまだまだ終わっておらず、震災のことは決して忘れてはいけない。自分たちに何ができるかを考え、応援の気持ちを詩に託した。」というメッセージが添えられている。
今回は足早ではあったが東北地方の自然や歴史、文化を肌で感じ、いつまでも記憶に残る旅になった。
行程や宿、立ち寄り先などの手配を事前にしていただいたリーダーのKさんを始め仲間に感謝したい。
掲載日 2016.2.21