市民音楽祭が、12月1日に開催されました。伊万里合唱団にとっ
今回は過去最多の23団体が参加されました。毎回のことですが、
さあ、次は来年6月の定期演奏会です。大曲「水のいのち」が控え
大学1年の夏、よさこい祭りに参加した。2ヶ月余りどっぷり踊りにはまっていたため余韻が抜けず、当時はやり始めたディスコに通い始めた。
たまたま家庭教師をしていた先が手広く飲食店を経営しており、その一軒がディスコで、安心感もあり、バイトの後はいつも踊って夜半に家に帰る生活を繰り返していた。受験勉強からの解放感がより拍車をかけ、踊りに熱中していた気がする。
ある日、店のオーナーから、「出来たら店で踊ってくれないか?」との誘いがあった。何度か声を掛けられたが、断り続けているうちに行きづらくなり、結局ディスコ熱は半年も持たなかった。もしあの時誘いを受けていたら、今頃はダンスのインストラクターをしていたかも、などと時折想像してみる。
其の後も次々熱中するものができ、今は合唱にはまっている。発声練習をしたり、課題曲を口ずさんだり、毎週火曜の練習日には出来るだけ参加するようにしているが、何ともいえず、心地いい時間を与えてくれる。毎年6月の定期演奏会は一年の目標になり達成感も与えてくれる。大勢の前で歌う高揚感と一体感、その後に続く打上げの楽しさも、大事な人生の1ページとなっている。(とさっぽ)
12月1日に市民音楽祭があり、その後に伊万里合唱団の忘年会がありました。
忘年会では美味しい料理に舌鼓を打ちながら、それぞれ今年1年間の思い出を振り返られていました。
自身も色々なことがあり大変ではありましたが、振り返ってみるととても充実した1年を過ごせたのではないかと思います。
忘年会の締めに市民音楽祭の曲を歌いましたが、皆さんとてもいい笑顔で、中には肩を組みながら歌われているかたもいらっしゃいました。
さて、今年の練習も残すところあと2回ですが、来年の定期演奏会に向けて気を引き締めて、でも楽しく取り組んでいきたいと思います。(荒久田)
2015年に開設した伊万里合唱団のホームページ。
このたび、閲覧数がめでたく40,000回に到達しました。またひとつ大きな区切りを超えることができ、嬉しく思っています。
また、最近はブログの執筆者もバラエティに富んできて、私自身も興味深く読ませてもらっています。
次の目標は50,000カウントとブログの1,000号。地道に頑張ります。
ところで、今朝ホームページを開いたときのカウントは40,010。そう、四万十ですね。四万十川は高知県西部を流れる四国最長の河川で「日本最後の清流」と呼ばれています。また、高知県はとさっぽさんの故郷でもあります。写真はベース西山氏が今年6月に四国を旅したときに撮影した写真を提供してもらったものです。透明度の高さがよくわかりますね。
四万十川と同じ様に私たちも透明感のあるクリアなコーラスを目指していきたいものです。(管理人)
師走に入り、気ぜわしい日々が続いています。ふとカレンダーに目をやると、今年もあと20日を残すのみになっていました。
今年の流行語大賞は ONE TEAM(ワンチーム)だとか。発表されて初めてこの言葉を知りました。タピオカもまだ飲んでいません。昨日、職場で「イメチェンした?」と声をかけてしまいました。古臭い言葉ではないかと気になっています。
余談はさておき、本日、指揮者とピアニストに合唱団からささやかなお礼を差し上げました。
今年も安心して活動ができたのはお二人のお陰です。
今後ともよろしくお願いします。(管理人)
市民音楽祭の日、「某混声合唱団の助っ人として福岡から西山兄弟が来ている」という話を耳にしました。聴いてみると、確かに彼らの歌声は際立っていました。
終演後、ロビーで伊万里合唱団の指揮者Nさんと、その西山兄弟が会話をしているのを見かけ、不思議に思っていたら、二人は伊万里少年少女合唱団で活動をしていて福岡に引っ越したあの兄弟だったのです。そういえば苗字は西山でした。
成長した彼らはライブ活動をしているそうで、「Heiwaなきょうだい~まあるくつながって~」というタイトルのオリジナルのCDもいただきました。聴いてみると綺麗なハーモニーと独特の世界観が広がっています。これからの活躍が楽しみです。
Youtubeには4年前の動画になりますが、何と!私たちが今年の定期演奏会で歌った水戸黄門の主題歌「あゝ人生に涙あり」がアップされていました。その実力には脱帽です。視聴はこちらをクリックしてください。(管理人)
12月12日は、令和元年最後の満月でしたね。
12月の満月のことを英語では「Cold Moon(コールドムーン)」と言うそうな。寒いからでしょうね。帰宅途中、伊万里湾に鮮やかな光を放ちながら浮かんでいました。
自分は子供の時からお月さんが好きでした。闇夜を照らす柔らかい一条の光が、なんとも言えず自分の心を包み込んでくれました。皆さんも時間があればお月さんをゆっくり観てみませんか?昼間の雑踏の中、頑張ってきた方、ストレスがたまっている方など特にお勧めです。
そう言えばこの間の市民音楽祭の発表曲に「朧月夜の涙」を合唱しました。自分の勝手な解釈ですが、「夢を抱いて故郷を出たが、傷心の時に故郷に帰ったら、故郷の全てが、お月様も自分の心を癒し、心に一条の光が宿る」という気持ちで歌いました。また、この場を借りてご来場くださった皆さんに心から感謝申し上げます。
因みに、練習の時は、「お月様が頭の上の方にあるイメージで歌いなさい」と言われていましたが、この時は、目の前にありました。チャンチャン。(杉本)
私は仕事柄、外に出る事が多く四季の移り変わりを目の当たりにできる。秋は山々が色づく美しさに目が奪われがちだが、実は色鮮やかな花があちこち咲いていることに気が付く。晩秋から冬にかけて咲く花は、曇天の空に負けないきりっとした佇まいを見せているように思う。
石路(つわぶき)の花もその一つ。庭の日陰目立たないところ。蕗(ふき)の葉に似た艶のある葉っぱの上にしゃんと茎を伸ばし、黄色の花を付けている。黄色とはこんな色だったのかと思うほどの美しさで、しばし見とれていた。
道の脇や庭の片隅にひっそりと咲いている花でも、近づいてじっと見つめてみると、可憐で美しい様にちょっと感動したりする。
話は変わるが、このブログに参加させて頂くようになり、回を重ねるうちにネタに合った写真を撮ることが難しくなってきた。ある方から、花の写真がきれいで楽しみとの声を聴き、私の投稿の際は心ひかれた景色や草木の写真を載せようと思うに至った。
これからも、撮りためた花や景色の写真におつきあい頂ければと思います。(とさっぽ)
今回は名古屋市へ。ここは人口230万を擁する東海地方の拠点都市。徳川家が建てた名古屋城尾張徳川家を中心に発展を遂げました。
江戸時代、この地を治めた尾張徳川家は御三家筆頭と言われながら、一人の将軍も輩出出来なかった事で知られています。独自の文化が花開いた時代の名残りでしょうか。芸術等も盛んでした。
今回は16世紀末から17世紀初頭の僅かな期間の活動ではありましたが、美術史にその名を燦然と今も輝かせているイタリアの画家、カラヴァッジョの展覧会(15日をもって終了。)が開かれていた市の美術館へ。その特徴は光彩を取り入れた構図の巧みさと絵画の中の人物があたかも生きているかのような生々しさにあると言われ、レンブラントらその後の美術界にも多大なインパクトを与えました。
今回の展覧会では美術館のみならず個人所蔵の作品も見られました。中でも代表作とされる「ゴリアテの首を持つダビデ」は旧約聖書に登場する少年期のダビデとイスラエル人を苦しめた暴漢ゴリアテとの死闘を描いているのですが、ダビデには無垢な若き日の、ダビデに倒されたゴリアテの首には晩年のカラヴァッジョ自身の苦悶と後悔が描かれていると言われています。創作活動、幾多の死闘、流転の生涯を経て38歳の若さで逝った彼の凄まじい生涯が偲ばれ、息を飲むばかりでした。(ベース西山)
2日目は午前中、今回の旅の目的だった良寛展が開かれている徳川美術館へ。良寛は江戸時代後期の曹洞宗の托鉢僧ですが、生涯寺も家族も持たず、信をもって74年の生涯を生き切りました。歌人、詩人としても知られ、多くの人々に今なお敬愛されています。かく言う私もそのひとりです。暖かく、凛として、優しい。現代人が忘れ去ってしまった尊いものがそこにはありました。
その日の午後は鉄道リニア館へ。ここには国鉄バスの第一号車両や、JR東海の歴史を彩った名車がその役割を終え、展示されています。特に東海道新幹線に関する展示スペースが大きく割かれているのが特徴です。(ベース西山)
3日目。旅も最終日。
帰りの便が夕方だったので、友人の案内で明治村へ。ここには各地から明治期を中心に歴史の舞台となった建造物等が移築されています。どこかで目にしたことがあるのでは?と思いましたが、朝ドラ等のロケで使われたとのことで納得した次第です。親しい旧知の友に再会したような愛しき時間が流れておりました。
名古屋めしと言えばまあ、色々あります。味噌カツやら、ひつまぶしやら。今回は味噌煮込みうどんを。
名古屋と言えば、モーニング。今回は宿から徒歩数分のカフェへ。重厚な木扉を開けると 馥郁なる幸せな香りがいっぱいに漂っていました。サラダセットをお頼みし、ドレッシングではなく、オリーブオイルをと。ワガママを聞いて貰ってしまって。お代わりまで。混み合ってきてもさり気なく、笑みを絶やさぬスタッフが醸し出す空気も相まって、ビタミンをたっぷり補給。「また伺いますね。」一礼して、お暇しました。
今回も旅の「足」はLCC。間際の購入でしたが高速バスを意識した価格設定なのか、利用しやすいものでした。往路の便ではたまたま唐津市ご出身の方と会話が弾みました。お連れ合いを亡くされたこと、ご家族とのこと、お身内との和解など人生の一旦に触れさせていただきました。困ったと言えば機内で読むつもりで開きかけた一冊がさっぱり読めなかったことくらいでした。
帰路では離陸前、コックピット(操縦室)のドアが開いていたこと。博物館でしか見られないはずの世界が眼の前に。最前列席の特権?(笑)でした。(ベース西山)
令和元年最後の練習日だった今日、重大な発表をしました。
それは2年5か月の間、ともに活動をしてきたベース西山さんが山口県に転勤されるということ。今日でお別れという悲しいお知らせでした。
送別セレモニーでは記念品としてクリスマスをモチーフにした団員手作りのブリザーブドフラワーを贈呈し、彼が一番好きだった「いのちの歌」を旅立ちのはなむけとして全員で歌いました。
本当に感動的なひとときで、歌にも心がこもっていたと感じたのは私だけではなかったはずです。
私と彼は同い年のよしみで二人で飲んだりしていただけに、話を聞いたときにはショックもありましたが、出会いと別れは人の世の常。新天地での活躍を信じ、これからも応援します。(管理人)
送別セレモニーの前に行われたのは、歌い納めの恒例となっている指揮者Nさん提供の福引き大会。
最初に発表された一番残念な賞は10番。そのカードが入ったお菓子の袋を持っていたのは…私でした。それでも景品には色々入っていたので満足です。
全員がゲットしたあと、4点残っていたので、今度はじゃんけん大会。ここでも私は最初に脱落しました。6人まで絞られてくると、残った人たちはエキサイティングし、真剣そのもの。普段の練習もこれくらい盛り上がればいいのに…と思ってしまいます。
また、この日はとさっぽさん手作りの杏仁豆腐の差し入れもありました。口にした人は誰もが驚くほど絶品で、洋菓子店から買ってきた商品と信じて疑わない人もいたほどです。
最後に団長から令和元年締めくくりのご挨拶があり、今年の練習は幕を下ろしました。
皆さん、1年間お疲れ様でした。(管理人)
今日、12月19日は、世界で初めてパーソナルコンピューターが発売された日だそうです。昭和50年のことです。ちなみに日本では昭和54年にPC8001が最初です。
当時のプログラム言語はBASICで、今みたいに色々なソフトが販売されているわけでもなく、自分でプログラムを組んでいくのが主流だったと思います。今のパソコンから見れば、解像度も低く色も8色表示、音もBeep音(「ピー」という音)のみ、漢字は使えずカタカナ表示でありましたので、若い世代から見れば何これ?と思われると思います。でも、おじさん世代には胸ときめく代物でありました。
科学の進歩は目覚ましく、後何十年もすれば今のパソコンでさえもオモチャみたいに見えるのでしょうね。
今、パソコンを見ていて昔を懐かしんでいました。(杉本)
12月15日、嬉野茶交流館チャオシルという施設で開催された「チャオシルマーケット」に行ってきました。その目的は佐賀市の「よなよなあん工房」が出店するという情報をキャッチしたから。以前にもブログでご紹介したことがありますが、「よなよな」の営業時間は深夜。開店日時は不定期で、直前にSNSで告知されます。
そんな「よなよな」目当てで出かけたわけですが、今回は嬉野のお茶農家の女性グループ「茶乃芽」さんと共同で出店されていました。セットで提供されたスイーツとお茶の相性は抜群。行列は途絶えることなく完売したようです。
それにしても、地域振興の一助となるべく県内各地で奮闘している彼の姿勢には頭が下がります。体だけは壊さないようお願いします。(管理人)
少し前のことになりますが、人生初の邦楽にチャレンジしました。
これまでピアノや歌に親しんだとは言え、邦楽は全くの未知の世界
今は時折、耳に残る音色を頼りに、「エア三味線」でお稽古の記憶
12月24日に九州を離れるベース西山氏と21日に二人で飲みました。
場所はやはり田舎庵。焼酎と味わい深い家庭料理、そして合唱団の思い出を肴に、時が経つのを忘れるほど盛り上がりました。
店を出て、駅前広場に差し掛かると交声曲伊万里の「ふるさとよ」の歌碑がイルミネーションに照らされて幻想的に輝いていました。酔った勢いで私が歌いだすと、西山氏もハモってくれ、さながら路上ライブの様相を呈することに。(ギャラリーはいませんでした)
その後しばらく歩き、次の目的地カラオケ本舗「まねきねこ」へ。松田聖子のシングルをほとんど歌ったほか、混声合唱曲「大地讃頌」をテナーとベースだけで歌いました。「積水ハウスの歌」も収録されていたので、二人で熱唱しているところに、店員さんが料理を持って入室。笑いをこらえている様子が見て取れました。
大満足だった楽しい一夜。時期が来れば山口県まで遊びに行きます。(管理人)
12月23日は東京タワー(正式名称は「日本電波塔」)が昭和33年に完成した日です。当時6局あったテレビ局の電波を一ヶ所から発信するために建てられました。自立式鉄塔としては、東京スカイツリーが建つまでは世界一の高さを誇っていました。現在はラジオFMの電波を発信しています。
もう一つの役割として、東京スカイツリーに不具合があったときのピンチヒッターとしての役割も担っています。また、なぜ赤白なのかという理由もありますよ。
写真は、2017年に行った時に見上げる形で撮った写真です。やっぱり高くて壮大ですね。(杉本)
先日、嬉野市にある嬉野茶交流館チャオシルに出かけた話題をご紹介しました。
ふと見かけた看板に1日3回クリスマスジャズトリオ演奏が行われるということを知り、1回目となる11時30分からのライブを鑑賞することにしました。
ボーカルは地元嬉野市の女性。ピアノとギターは福岡の方でした。急きょ出演が決まったウッドベース奏者(長崎)を加え、4人編成、カルテットでの演奏をたくさんのお客様とともに堪能しました。
クリスマスソングをメインに楽しい曲やしっとりとした曲などバラエティ豊かな選曲で、中でも What a wonderful world や Moon River、テネシーワルツが印象に残りました。
時間にして30分くらいだったでしょうか。一足早くクリスマス気分を味わえた、ちょっと贅沢なひとときでした。(管理人)
ドラ鳥のトリビア第15弾はクリスマスの話題です。
イブの夜、ドラ鳥の前を車で通過したとき、店の入り口に鎮座するコッコ君が赤い服を着ていることに気づき、Uターンして戻って来ました。
近くでよく見ると、ちゃんと帽子もかぶり、子どもたちに配るプレゼントまで抱えています。
お腹の出具合もユーモラス。
「メリーークリスマーース!」と雄たけびを上げているようにも見えますね。
ドラ鳥とクリスマスはイメージとしては結び付きませんでしたが、考えてみるとケンタッキーと同じく、食材は「チキン」なので立派な王道です。
来年からは「聖夜はドラ鳥で!」がトレンドになるかも。注目です。(管理人)
メリークリスマス!
私はバリバリの仏教徒ですが、偉人を讃えるのにそんなものは関係ありませんね。まー偉人というのも語弊がありますね、なんと言っても「父(創造主)の子」ですから。
それはさておき、クリスマスイブは、12月24日でクリスマスは、12月25日のこと思っていませんか?本来は12月24日の日没から12月25日の日没までの一日を「クリスマス」と呼ばれていて、イブは「evening(晩方・夜)」からきていて、クリスマスの夜、24日の夜を指しています。だから25日の日没後に家庭や恋人同士でメリークリスマス!と祝っても本来のクリスマスは終わって普通の日です。実際、私も知らなくてそうなんだーと知ったところです。
まーそんな細かいことは気にせず、皆さんメリークリスマス!私も一人寂しくアヴェ・ヴェルム・コルプスを歌ってお祝いしよーっと。(杉本)
12月22日は冬至でした。冬至といえばかぼちゃのいとこ煮と柚子風呂。さっそく柚子風呂用の柚子を買い求めました。今年は小ぶりなものが多く、10個ほど入ったものにしました。半分は孫用です。私の故郷高知では、柚子は果汁を絞り料理に使います。柚子の生酢を「ゆのす」と呼びますが、それとお酢を適度に配合し、寿司や鯵や鯖の酢〆、酢の物などに欠かさず使っていました。
高知県はお酢の消費量が全国第9位で、お酢を使った料理はほぼ毎日、母は味付けしたあとに再度「ゆのす」をかけて食べていました。私のソウルフードです。
結婚してからもずっとお酢を使った料理を出し続け、夏の冷麺は我が家の定番料理でした。
今から10年程前の事でしょうか。夫が突然、「実はお酢は苦手。冷麺もあまり好きじゃない。」とカミングアウト。「はあー?もっと早く言ってよ。」と思いつつ、ずっと我慢していたのねと、冷麺を出すたびに困惑したであろう夫も思い浮かべ、思わず笑ってしまいました。
お風呂の中に漂う、さわやかな柚子の香りに浸りながら、あれやこれやと思い出し、今頃は孫ちゃんも柚子風呂かなと考えながら、体もこころもほっこりした時間を過ごしました。(とさっぽ)
ジングルベルの鈴の音も過ぎ去り、令和元年も残り僅か。故郷のお正月を心待ちにする人、雪の降る町を訪れてスキーやそりすべりを楽しむ予定の人、年末ジャンボ宝くじの大当たりを夢見る人、心弾んでいる方も多いでしょう。
街路樹の枯葉も落ち、街はすっかり冬景色。寒い朝は、ファイト!とばかりに気合いを入れて、ラジオ体操の歌でも歌えば、元気を出して一日を過ごせるかも。そういえば近頃、街中でRunner(ランナー)をしばしば見かけます。1月の伊万里ハーフマラソンの出場者かも。当日は走る皆さんにYELL(エール)を送りたいですね。
お気付きかと思いますが、この変な作文、歌のタイトルが全部で16曲隠れています。師走の息抜きに探してみませんか?(解答は次回のブログにて)(指揮者N)
曲名探しの解答です。
①ジングルベル
②令和(ゴールデン・ボンバー) ③故郷(ふるさと・唱歌) ④お正月(唱歌) ⑤雪の降る町を
⑥スキー(スキーの歌・唱歌) ⑦そりすべり(アンダーソン作曲) ⑧夢見る人(フォスター作曲) ⑨枯葉(シャンソンで有名) ⑩冬景色(唱歌) ⑪寒い朝(吉永小百合) ⑫ファイト!(中島みゆき) ⑬ラジオ体操の歌 ⑭元気を出して(竹内まりや) ⑮Runner(爆風スランプ) ⑯YELL(いきものがかり、コブクロにも同名曲あり)
当初設定していた答えは以上なのですが、調べてみると実はあと2
伊万里市観光大使、田中昌之さん(元クリスタルキング)が主題歌を歌ったアニメ「北斗の拳」。放送が開始された1984年当時は一大ブームを巻き起こし、単行本などの累計発行部数は全世界で1億冊を突破していると言われています。
また、2003年に発売されたパチスロ「北斗の拳」は史上最高の60万台を超える出荷台数を記録。その後も現在に至るまでシリーズが次々に投入され、人気は衰えることを知りません。
そんな北斗の拳ですが、最近、コラボ焼酎が佐賀県鹿島市の光武酒造場から製造販売されていることを知りました。これがかなりのインパクト!眺めるだけでも楽しめます。
田中さんご本人は、この焼酎のことをご存知なかったので、さっそくお歳暮としてお贈りしました。すると後日、田中さんからは画像とともに「めっちゃ嬉しい」のメッセージが。
お歳暮というのは何を選ぶべきか悩ましいものですが、久々のガッツポーズでした。(管理人)
歌い納めが終わり、長い年末年始の休みに入っている伊万里合唱団ですが、来年の定期演奏会の企画ステージで演奏する曲目を話し合うため、クリスマス・イブ・イブ(12/23)の夜に選曲委員会を開きました。
会場は今回もソプラノIさんのご自宅。しかも、「話し合いの前に自家製のカレーライスをご馳走します。」とのありがたいご提案があり、団員が持ち寄った「いちごさん」(佐賀県生まれの苺の品種)や「きなこプリン」が彩りを添え、華やかなクリスマスパーティーになりました。
危うく、集まった目的を忘れそうでしたが、食事の後はしっかり話し合いもしました (笑) 。
企画のテーマは「エール(応援歌)」。歌いたい曲がたくさんある中で10曲程度に絞り込むのは難しい作業。個人的には、笑いを誘う小芝居をどこに入れるか、なども考えていました。
そして、企画ステージの全ての曲目が決定。年を越すことにはならず、ほっとしています。
その後、指揮者Nさんによって楽譜の準備も進められ、新年に入るとスムーズに企画の練習も開始できそうです。どうぞ、次回の定期演奏会もご期待ください。(管理人)
今年も佐賀大学管弦楽団に在籍していた同級生が佐賀市の焼き鳥「一文字」に集まり忘年会をしました。欠かすことなく今回でちょうど30回目。メモリアル忘年会です。
不思議なのが、いまだにオケ(オーケストラ)の夢を見るというメンバーが複数いたこと。しかも、練習をしていないのに、本番が来てしまったり、ヴァイオリン奏者なのに急きょクラリネットを吹くことになり、ステージ上で焦ったなど、あり得ない証言の数々。どなたか夢占いをお願いします。
最近、佐賀駅のコンコースにピアノが設置されました。午前7時から午後7時まで自由に弾くことができます。ホテルをチェックアウトして、駅を通り抜けるときにそのピアノはありました。周囲に誰もいなかったので、ちょっと弾いてみることに。曲目は「ボヘミアン・ラプソディ」の前半部。すごく響いたのでかなりビビりましたが、気分は上々。今年の音楽活動の締めくくりです。(管理人)