12月14日と聞いて「討ち入り」という言葉がピンと来るのは、時代劇ファンもしくは日本史に詳しい方だと思います。
歌舞伎や時代劇で有名な「忠臣蔵」の最大の見せ場、四十七人の赤穂浪士が主君の仇である吉良上野之介の屋敷に討ち入ったのが12月14日の深夜です。ただし、これは旧暦のことなので、今の暦では1月30日にあたるそうです。時代劇で、討ち入りを終えた義士たちが泉岳寺の主君の墓へ向かうシーンでは必ず雪が降っていますが、1月末の出来事と思えば納得できますね。
赤穂浪士に縁のある地ではこの日「義士祭」が行われ、供養や茶会で四十七士を偲びます。実は伊万里には、赤穂浪士の筆頭・大石内蔵助の遺児を葬ったと伝えられる墓があり、遺品やエピソードが残されています。江戸からも赤穂からも遠く離れた伊万里は、隠れた「忠臣蔵ゆかりの地」のひとつなのです。(指揮者N)
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